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Anniversary50th ヨックモック
ヨックモックの軌跡 ブランドストーリー
  • 創業者 則一 誕生
  • シガールとともに。株式会社ヨックモック誕生
  • おいしさが支持され急成長。たくさんのお客様にヨックモックの美味しさを届けるために
  • 直営店で出来たての菓子とまごころのサービスを
  • 世界へ羽ばたく企業を目指して
  • 多様化するイベントをヨックモックのお菓子で盛り上げる
  • 空港や駅で『お土産』にチャレンジ
  • これまで蓄積したお菓子づくりの技術力とノウハウを活かす
  • 季節のクッキー
  • 和のテイストを洋菓子に
  • 海を越えてものづくりの姿勢に共鳴
  • 洋生菓子の老舗、クローバーと手を取り合って
  • 「出来たて」を楽しんでいただく
  • もう一度イノベーションを
  •  

— Story 00 —

創業者 則一 誕生
(原点)

1917年8月、後にヨックモックの創業者となる則一は、藤縄家の四男として富山県に生を受けました。1932年、15歳の則一が従兄弟の経営する東京の菓子屋へと奉公するところから、ヨックモックの物語は始まります。

何事に対しても積極的に取り組み、納得のいくまで徹底的にやり通す性分の則一は、すぐに仕事を覚えました。同じく人形町の菓子屋に奉公していた兄の秀夫と励まし合い、将来は兄弟で店を持とうと懸命に働き、1934年にはその夢を叶えて藤縄商店を開業。三男にあたる兄の茂も富山から呼び寄せ、兄弟で力を合わせて藤縄商店を盛りたてます。

戦争によって、則一は菓子の道から離れることを余儀なくされますが、いつの日か兄弟で必ず製菓業を再開することを心の支えとしていました。終戦をむかえた頃、兄秀夫が病気で他界し、茂が戦死したことを知った則一は、自分の運命は自分で切り拓くしかないと二人の兄の意志を継ぎ、1946年に独力で藤縄商店を再開。

原材料の確保に苦労しながらもつくり出した粗末な菓子が空腹を抱える人々に笑顔を届けることができた喜びに、則一は菓子づくり一筋に生きていくことを決意するのです。

則一と次兄・秀夫

— Story 01 —

シガールとともに、
株式会社ヨックモック誕生
(1969~)

戦後、中小メーカーとしていち早くチョコレートの生産に奮闘した則一は、大手メーカーが量産体制を整備し攻勢をかけるなか、手間のかかる商品の機械化に着手することで更なる成長を遂げます。しかし、中小メーカー商品の流通を担う小売店がスーパーマーケットに凌駕されるにつれて、業績は低迷。このままの商いに頭打ちを感じた則一は、忘れかけていた菓子づくりの原点に立ち返るべきではと考え、出来たての美味しいお菓子を直接お客様に提供したいと、事業転換を決意します。

その当時、「バターをたくさん使ったクッキーの量産や量販は難しい」というのが菓子業界の常識でしたが、則一はそれを逆手に取れないかと考えました。高度経済成長真っ只中の日本で、百貨店を中心に膨大なギフト市場が形成されていることに目をつけ、バターをふんだんに使ったラングドシャークッキーを高級感のあるギフト商品に出来ないかと思い至ったのです。

目指したのは、今までにないおいしさの創造。大きな希望を抱いて試作を開始しましたが、バターを多く使った生地は壊れやすく、試作は難航しました。 その解決のヒントは、たまたまめくっていた欧州の画集の1枚の絵の中に。フランス人画家リュバン・ボージャンの作品『巻菓子のある静物』に、まるで紙のように薄く焼き上られたロール状の菓子が描写されていました。ここから、生地を補強するためにロール状に巻く発想が生まれ、巻いた生地が重なり合うことで独特の食感がつくり出されたのです。完成した試作品は、なめらかな口当たりと口どけ、コクと風味、ユニークな形状、どれをとっても従来のイメージを打ち破るものでした。

このクッキーこそ、その後50年の長きにわたりご愛顧いただいているシガールに他ならず、時を同じくして1969年8月8日に株式会社ヨックモックが誕生したのです。

発売当初の商品
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— Story 02 —

おいしさが支持され急成長
たくさんのお客様にヨックモックのおいしさを届けるために
(1972~)

商品化の目処が立ち都内の百貨店へ売り込みを始めたところ、シガールの味わいは評価され、その年の歳暮期に商品を出してはどうかと、1969年11月に1号店の出店が決定。 則一が事業転換を決意してから、シガールを開発し初出店を果たすまで、わずか半年間での出来事でした。

いよいよ向かえた出店初日。売れ行きは予想を上回り、お客様から「何ともいえない風味と新鮮さが魅力」という
言葉をいただくことが出来ました。その後瞬く間に評判が広まり、展開店舗は1年間で17店舗へと増加しました。

販売当初のシガールは、オーブンから焼きあがってくる生地を1つずつ手で巻いて仕上げていましたが、販売店舗が増加するにつれ、手巻きでの生産には限界が訪れました。そこで1972年、“手巻き”の機械化への挑戦が始まります。

バターをふんだんに使った非常に薄い生地を機械で綺麗に巻き上げることは困難を極め、人の技と同等の能力を持つ巻き機の開発には約10年の月日を費やしました。それでも、まごころを込めてつくられた菓子のおいしさに勝るものはないと、諦めることなく「菓子に合わせた機械をつくる」姿勢を貫いた精神は、時代が変わっても、今なおヨックモックのつくり手の心に受け継がれています。

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— Story 03 —

直営店で出来たての菓子と
まごころのサービスを
(1978~)

「直営の店舗を設け、出来たてのお菓子とまごころのこもったサービスを提供する」という長年の夢を実現したい。

自社社屋の建設と合わせて直営店展開の夢を叶える場所を探していたときに、偶然紹介されたのが東京都港区青山の土地。洗練された落ち着きとどこか異国の雰囲気を感じる街に惹かれ、建設の地を青山に決定しました。

「社屋と直営店を建てるにあたり、そのコンセプトにインスピレーションを与えたのは欧州のカフェテラス。生き生きとした都会の空気が流れ込んでくるような開放感と、そこでお菓子が紡ぎだすゆとりの時間を当社でも実現したいと、中庭を持つ喫茶室を構想し、中庭をコの字型に囲むというアイディアを形にしたのが、今もその形を留めるヨックモック青山本店です。

1978年3月に社屋が完成し、同年4月末に直営店と喫茶室がオープン。中庭には、創業者が愛する、四季折々に魅力的な表情を見せるハナミズキを植樹しました。

青山本店は、数回のリニューアルを経た今もなお、印象的な青いタイルとこだわりのコの字型、中庭のハナミズキはそのままに、ヨックモックの象徴として青山の地に大切に守り継がれています。

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— Story 04 —

世界へ羽ばたく企業を目指して
(1986~)

1980年代前半、ヨックモックの日本国内の店舗数がいよいよ100店舗に迫る頃、次なるステージへの飛躍を目指し、海外展開の具体化に着手しました。

 

展開先として最初に狙いを定めたのはアメリカ。ホームメイドクッキーが主流なアメリカ市場への挑戦に不安もありましたが、試食を含めた市場調査の結果は良好で、1986年には、ビバリーヒルズの高級百貨店をはじめ3店舗の出店を実現しました。以来アメリカでも百貨店を中心に展開を拡げ、現在も約50店舗を有しています。

2011年6月には海外初の路面店を台湾にオープン。2012年2月には海外初のレストラン「Blue Brick Bistro」を併設した店舗を香港にオープンし、百貨店だけではない、その国の文化に合わせた展開に積極的にチャレンジ。2012年~2017年に展開したUAEは、メディアでも大きく取り上げられました。以降もインド、シンガポールと新規出店を行い、世界へ羽ばたく企業を目指した取り組みを続けています。

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— Story 05 —

多様化するイベントをヨックモックのお菓子で盛り上げる
(1994~)

クリスマスにはクリスマスケーキを。

バレンンタインにはチョコレートを使ったアイテムを。

洋菓子メーカーとして、ヨックモックのお菓子でイベントに彩りを添えようと様々な取り組みを行ってきましたが、実はヨックモックのクリスマスアイテムの始まりはアメリカから。

1994年にアメリカのみで販売したホリデー缶(現:クリスマスアソート)が大変な人気となり、翌年1995年に日本へ逆輸入する形で本各的に展開をスタートしました。

その人気は今も衰えることなく、ヨックモックのクリスマスアイテムの中心を担っています。その後も、多様化するクリスマスの楽しみ方に応えるべく、2008年には、ケーキを食べるだけではないクリスマスシーンを想定し、ホームパーティーに持って行きたくなるようなお菓子「パーティー クグロフ」を展開。ヨックモックのイベント限定商品のラインアップも、これを機にどんどん豊富になりました。母の日や父の日、敬老の日、ハロウィンなど、ヨックモックのお菓子とともにイベントを楽しむシーンを想像し、これからも日常にちょっと彩りを添えるお手伝いをしていきます。

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— Story 06 —

空港や駅で
『お土産』にチャレンジ
(1994~)

1994年、ヨックモックがプロデュースしたお土産菓子「青山アベニュー」が羽田空港にオープン。

それから10年後の2004年には、いよいよヨックモックブランドとして羽田空港にお店を構えることになりました。空の次は、続いて陸の玄関口へ。2005年3月にJR東京駅の東京銘品館へ出店し、以降空港や駅ビル・駅ナカで、フォーマルなギフトとは少し趣向を変えた、遊び心あふれるスーベニール菓子を展開しています。

(東京チョコサンドクッキー、さくさくキャラメリング、東京ハニーシュガー、東京バニラ等々)

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— Story 07 —

これまで蓄積したお菓子づくりの技術力とノウハウを活かす
(1998~)

ヨックモックがこれまで磨いてきたお菓子づくりの技術力やノウハウを活かして役に立てること。

1998年から、テーマパークのお土産品の企画開発・製造を受託し、様々な企業と協働しておいしさを届けるOEM事業の取り組みを開始しました。2011年からは、コンビニエンスストアをはじめ、スーパーマーケットなどのプライベートブランド商品も手掛けています。

おいしさを届けたい人とおいしさを味わいたい人との間を繋ぎ、これからも私たちのお菓子にできることを探求していきます。

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— Story 08 —

季節のクッキー
(2003.4~)

中元・歳暮だけではなく、もっと色んなシーンでヨックモックのクッキーを召し上がっていただきたい。贈り物としてだけではなく、「自分で買って自分で食べたい」と思っていただくには。そこで挑戦したのが季節限定クッキー。季節商品の先駆けとして取り組んだ秋商品の反省点を活かし、春らしさをとことん追求して誕生したのが「さくらクッキー」です。

桜の花と葉を使用してほんのり色づいたクッキーは、当時としては珍しい桜味の洋菓子。クッキーに色を着けたのはヨックモックとしては初の試みで、商品名に日本語を使用するのも初めて。今でこそ商品企画として当たり前になったことも、全ては「さくらクッキー」の挑戦から始まりました。

ヨックモックの定番商品とは一味違う限定感と季節を感じる装いがお客様に受け入れられ、その良さを踏襲して、続く「秋のクッキー」「冬のショコラクッキー」「初夏のクッキー」も季節限定クッキーのラインアップに仲間入り。ハロウィンやクリスマス等、イベントに特化したアイテムの台頭により役目を終えた商品もありますが、季節限定クッキーへの取り組みは大きな一歩となりました。

季節のクッキー
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— Story 09 —

和のテイストを洋菓子に
(2004~)

欧州にヒントを得て誕生したヨックモックのシガール。新たな挑戦として、和のエッセンスを切り口にみなさまにお届けできるものはないかと、2004年8月、和の雰囲気を感じさせる洋菓子ブランド「Wa・Bi・Sa」が誕生しました。

ブランド名は和文に置き換えると「和 美 然」。「和の心」「美の形」「然の美味しさ」を持った繊細で新しい洋菓子をお届けしたい、という想いを込めたネーミングです。

2014年にはブランド表記を「WA・BI・SA」に装いをリニューアル。日本の歳時記になぞらえておもてなしの心と季節感を表現したお菓子は、見た目もパッケージも彩り豊かで、お好きな味や色を組み合わせてお楽しみいただけます。

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— Story 10 —

海を越えて
ものづくりの姿勢に共鳴
(2005~)

2005年、サロン デュ ショコラでのコラボレーションに始まった、アンリ・ルルー氏とヨックモックの物語。

アンリ・ルルー氏は、フランス ブルターニュ地方でメゾン・ルルーを創業したショコラティエ・エ・キャラメリエ。素材を大切にし、丁寧にお菓子と向き合うものづくりの姿勢に共感し合ったヨックモックとアンリ・ルルー氏は、2006年にヨックモックがメゾン・ルルーを継承し、新たな一歩を踏み出します。

フランスショコラ界の父と呼ばれ、世界のセレブに称賛されるキャラメルの作り手でもあるアンリ・ルルー氏。スペシャリテであるC.B.S.(塩バターキャラメル)は、日本で展開すると瞬く間に人気となり、塩スイーツブームの火付け役となりました。アンリ・ルルー氏からシェフの座を受け継いだジュリアン・グジアンも、フランスで欠かすことの出来ないショコラティエに選出されるなど、今なお進化しながら、フランスと日本の地で繊細なショコラとキャラメルをお届けしています。

コフレ・ルルー ショコラキャラメル
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— Story 11 —

洋生菓子の老舗、
クローバーと手を取り合って
(2009~)

1932年、東京都の六本木で田中 邦彦氏がクローバー洋菓子店を開業。店名は、四つ葉のクローバーが人々に幸せを運ぶという西洋の言い伝えになぞらえ、「この店は洋菓子を味わう幸せを提供する店だ」という想いを込めて名付けました。開業後も洋菓子の本質を追求し続けた田中氏は、洋菓子の原点をフランス菓子に求め、原書を読んで研究するために一からフランス語の勉強を始めます。その師として仰いだフランス語教師の時光 朗氏は、田中氏の熱心な姿に感心し、当時まだ誰も手掛けていなかったフランス菓子専門書の翻訳に興味を持ちました。そして、時光氏がレシピを翻訳して田中氏が試作に専念する形で、二人三脚でのフランス菓子研究がスタートしました。

フランス菓子の本質を学び、日本式フランス菓子の先駆者の一人となったクローバーは、2009年にヨックモックグループに加わることとなります。以降、ケーキに強みを持つクローバーと、焼き菓子に強みを持つヨックモックは協力し合い、お客様に感動と幸せを差し上げるお菓子の創造に努めています。

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— Story 12 —

「出来たて」をもっと手軽に、
もっと楽しく
(2011~)

ヨックモック、WA・BI・SA、アンリ・ルルーと、ギフト向け洋菓子を主力に取り組んできましたが、もっと手軽に「出来たて」を楽しんでいただけるお菓子に挑戦したい。その想いは、2011年4月にチュロス専門店の「ぐるチュロ」として形になります。

アウトレットモールの中にお店を構え、ご注文を受けてからチュロスを揚げて、出来たてをご提供。ショッピングの疲れを癒す心地良い空間を目指し、小腹を満たすだけではない遊び心も取り入れ、見た目に楽しく食べて美味しいうずまき型のチュロスを展開しました。

同年11月には、同じモール内にマドレーヌ専門店「MISS マドレーヌキッチン」もオープン。フランス菓子の定番マドレーヌに焦点を当て、シンプルながら素材にこだわり、店舗内で焼き上げた出来たてのマドレーヌをご提供しました。

(ぐるチュロ、MISS マドレーヌキッチンは 展開を終了しております)

ぐるチュロとMISS マドレーヌキッチン
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— Story 13 —

もう一度イノベーションを
(2015~)

シガールが誕生した時のように、まだ世の中にないお菓子を創造し、お客様に感動を差し上げたい。フレンチのミニャルディーズに発想を得て、良いもの・好きなものを少しずつお楽しみいただこうと、ミニャルディーズ専門店の「UN GRAIN (アン グラン)」を2015年にオープンしました。

ミニャルディーズはフランス語で「上品さ、可憐さ」という意味もあるひとつまみサイズのお菓子のこと。ブランド名の「アン グラン」は、フランス語で一粒の種を意味します。一粒の種から大切に育てられた素材によって、つくり手の想いとともに丁寧に仕上げられた一粒のお菓子が、やがて新たな気持ちの種として生まれ変わる。お客様それぞれの楽しく幸せなひとときをご提案させていただきながら、ゆっくりと、大切に、一粒の種を育てていこうという想いを込めています。

小さいながらに、素材にこだわり丁寧につくり上げたスイーツは、装いにも心を尽くしてご提供。2018年「接待の手土産」ランキングでは、1位に選出していただきました。

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